AIは私に影響を与えたか.

AIと共に生きる.

AIを使う.

というより意識的に使っているのはLLMだ.

便利である.最近はコーディングはClaudeに,要件定義やらコーディングの前段階はChatGPTに,論文の要約だったり資料がベースとなる作業や,しょうもないことはGeminiと使い分けている.

世間ではAIだなんだともてはやされており,実際私もその恩恵を受けているが,実際私はAIの登場で何が変化したのだろうか.

まず真っ先に挙げられるのはコーディングの代替だろう.CやPython,js,,ExcelVBA,また(プログラミング言語ではないが)htmlやcssなど一通り学び,簡単なこと(資料のデータ処理やArduinoプログラム,ホームページの自作など)はできるようになったが,私にとってはどれもプログラミングは手段でしかなく,そのものが楽しいという世の(敬意をもって)変態の様にはなれなかった.端的に言えばコーディングは苦痛である.

我々には目的など存在しないのだよ

(中略)

世の中には手段の為ならば目的を選ばないという様な どうしようもない連中も確実に存在するのだ

つまりは

とどのつまりは 我々のような

HELLSINGより

結果の為にこういう手順を踏めば実現できるな.という部分について考えるのは楽しいが,自分の能力が伴っていないことも相まって,求める結果の為の理想の手段を実装するというのは私には到底できる事ではなく,また,そのプログラミングは結果の為の事前段階であったから,この最終目的でもない者の試行錯誤に時間を取られるというのは私にとって楽しいと感じられるものではなかった.

もっと勉強しろよと言われればそうなのかもしれないが,目的の無い勉強は辛いことこの上ない.広く体系的に学ぶことが非常に重要であることは理解しているつもりなのだが,学力(コーディング能力)の向上という明確な結果が存在しずらいものの為の勉強というのは,勉強のための勉強という堂々巡り感があり,興味の無い部分でも関係があるからすべて学べというのは私の性格上無理があった.

このようなプログラミング(コーディング)が手段でしかない生物にとってはAIによるコーディングは非常に画期的なのである.

ほぼ学びたての素人が数日かけて数十行書いた汚いコードよりも,AIは数十秒でそれより優れた数行のコードを書いてくれる.

昔から機械化に対して人のぬくもりだのなんだの戯言を言ってくるご老人がいるが,結局そのご老人共は言うだけ言って素人の成果物には何ら目をくれない.無視一択である.

というか技術選定はよりスマートなものを選択するべきである.

そして残酷なことに世界の評価基準はどれだけ頑張ったかではなく,何を作ったかである.努力至上主義の皆様には申し訳ないが.

AIの登場により確実に私の(特にソフトウェア関連の)成果物は変化したと言えるだろう.

といってもAIをすべて信用するわけではない.これは今までの外注と同じである.

最終的な責任はユーザである私にあるのだから最低限の確認はする.それは特にライセンス周りであったり,攻撃を仕掛けていないか,隠しておきたいものが表に出ていないか.この処理は適切か.特に最後のものは全て確認できるものではないが,こういう動作をさせたらおかしくなるよね?ぐらいは指摘する時もある.

やってることはほぼテスタである.あとは矢張り技術選定はどうしてもユーザの意思が必要になってくる(と思っている).恐らく完全にAI任せにもできるのだが,それでは保守管理ができない.それもそのうち完全にAIに任せて寧ろユーザが絡むべきではない時代が来るのかもしれないが,結局利用するハードは人間である以上.人間が使いやすいかで技術選定をすべきだろう.

 

長々と余計なことも含め書いているが,ではここまでを基にAIの登場で自分は何が変わったのか考えてみよう.

となった時,今AIを使ってやっていることは,外注先を人間から月3000円そこらのAIに変えただけと言えるのではないだろうか.

 

「あなたにAIはどのような影響を与えたか」

 

と問われた時,私はAIから影響を受けているのだろうか.

LLMと書くべきかもしれないが,ここはあえてAIという言葉を使う.

 

「AIが使われている総ての製品は,私にどんな影響を与えているのだろうか」

 

身近なところでは予測変換であったり,ウェブサイトのパーソナライズであったり.

それらはユーザを便利にする仕組みであるが,それは本質的にAIである必要はあるのか?

既存の技術がAIによって代替されたことで私にどんな影響があったのか.

 

 

ここまでで気づいた事がある.

AIはユーザを助けてくれるものであるが,私そのものについて一切の干渉はされていない.

AIと共に悩むときも最終的な意思決定は自分である.

私の思想はAIで変化していない.(と思っている.少なくともAIが思想の外部処理装置として構成されるには至っていない.)

 

確かにテクノロジィは私を助けてくれている.しかしそれはAIに限った話でもないし,AIだからと言って私の言動・思考の原理原則変化したという訳でもない.

テクノロジィはユーザの意思決定を支援するが,代行はしない.ネット通販で商品を注文するのも,AIを使った成果物を最終成果物に仕上げて発表するのも私だ.

 

それは「AI」によって私が影響を受けている.と言えるのだろうか.

「テクノロジィ」は私に影響を与えた.は言えるかもしれないが,その「」の中はそれ以上ミクロになりえない.

 

あるとすれば特定の固有名詞やその行動だ.(少なくとも私は初音ミクというコンテンツに人生の根幹レベルの,思想レベルの影響を受けている)

 

その意味で,AIは真に私に影響を与える存在では(まだ)ない.と言えるのではないだろうか.

 

この文章はAIに校正すらさせていない.こういう文章を書く行為は苦痛ではない.というのは,単なる私の意地なだけかもしれない.

 

それでは.

 

不一

2026/08/14_蓼科千曲/TATESHINA Chikuma

 

以下余白

https://tateshinachikuma.com/s/27baa6
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